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色々あり過ぎたインドへの初海外旅行の思い出

お題「誰にも信じてもらえない体験」

今ではもういい想い出・・・

親族が見つけたら身バレの危機_:(´ཀ`」 ∠):

 

目次

 

初海外旅行はインドでした。

だいちぃ (id:traveler_da1)さんが綴っていたインド旅行の日記。

www.traveler-da1.comふと思い出すと、同じような日程のパックツアーに行ったのが私の初海外旅行でした。

色々あり過ぎたので、今でも鮮明に覚えています。

つらつらと綴ってみたいと思います。

 

そもそも何故、初海外旅行がインド?

それは大学3回生から4回生になる時の春休みでした。

当時、父方の叔父Aが海外赴任で世界中を転々としていた人で、私が小学生の時には1コ下と2コ下の従兄弟A達も含めた家族全員でアメリカに行ったりしてました。

その時の叔父Aの赴任地がインド、ただ従兄弟A達も大学生になっていたので、インドへは単身赴任でした。

そんな時に祖母が叔父Aの様子を見に行くと叔父の奥さん・叔母Aがインドに行く時について行くと言い出してました。

祖母は叔父Aの様子を見に行くだけなので、世界のどこでも構わないタイプの人ですが、さすがにインドなので治安とか大丈夫?という話になり。

高齢の祖母と叔母Aとでは心許ないので誰か叔母A以外にも一緒に・・・と思ったものの、従兄弟Aらはインドは嫌!と付き添いを拒否。

結果、父の妹・叔母Bの娘さん、私から見たら別の従姉妹Bがついて行くことに。

(ま、祖母に年数回しか会わない従兄弟Aよりも家が近所で度々会っていた従姉妹Bの方が適切だったんでしょう)

で、叔父さんの奥さん・叔母Aと、祖母と、叔母の子供ではない従姉妹Bと少しややこしめのメンバー構成でインド旅行に行くことが計画されてました。

で、叔母Bの家はうちから近く、叔母Bは祖母が住んでいた私の家に度々顔を出していました。

パスポートが云々、という話を耳にして、「何?どっか海外でも行くの?」と首を突っ込んだのは私。

上記の話を聞き、ついて来てくれる従姉妹Bの旅行代金も祖母が支払う、ということを聞きました。

「えー、いいなー。 だったら私も行きたい。4回生の研究室配属前で暇やし」

言ってみるもんですね、この一言で私のインド行きが決まりました。( ゚д゚)

祖母にとっては私も可愛い孫の1人だったんでしょう。(//∇//)

 

旅行日程を決める前に一悶着

ところが、その数日後に予定が変わります。

インドはまだまだ貧富の差が激しく、日本人は専用の住宅街・専用運転手が会社からあてがわれていたような時代でした。

(叔父の会社が一部上場企業の大企業だったというのもありますが)

で、運転手・叔父A・叔母A・祖母・従姉妹Bで既に5人乗りの車がいっぱいだったところに私が割り込んだので1台では動けない。

最初からそれを聞いていればインド行きを諦めたのですが、知らない間に親同士の間で決まったのが、私と従姉妹Bはパックツアーに放り込んで、初日と最終日にデリーで落ち合うというもの。

あれ? 私らは祖母の付き添いだったはずでは???

従姉妹Bは人見知りするタイプで、見ず知らずの人がいるパックツアーに1人で行くのは不安らしいから、従姉妹Bに付き添って欲しいと従姉妹の母・叔母Bにお願いされてのことでした。

ま、従姉妹とはいえ、男女なので別の部屋ですが、道中知り合い(私)がいるなら、ということで従姉妹Bが先に了承。

私もいいよ、と了解します。

 

ところが・・・

やはり私が同行するとはいえ、知らない人同士のパックツアーに行くのは不安、とパックツアーへの参加を従姉妹Bが拒否。

結局、従姉妹Bは元々の予定通り祖母や叔母Aと行動を共にすることに。

そうなると、置いてけぼりになったのが私。

事の発端は軽く行きたいと言った私にありますので仕方がない、インド旅行もなしかな、と思っていたら、、、

既にパスポートの申請をしてくれていた親がせっかく申請したのに勿体ないと思ったのか、パックツアーで行くなら祖母と両親で「卒業祝いの前借り」として旅行代金を出してあげるから、祖母と行くのは諦めてくれない?と言われまして。。。

この時点で、私は何故か親に「私がインドに行きたくて行きたくて仕方がない」と思われていて、必死にパックツアーに申し込むように説得されました。

・・・あれ〜?だったら別にインドは行きたい国No.1じゃないんだけどなー。

ま、代金を出してくれるというので、その辺は忖度したままパックツアーに申し込むことに。

このパックツアーが結構な強行軍で、ニューデリーに到着後ホテルで休み、翌日はコルタカまで寝台電車で移動、そこから7日間かけてニューデリーにバスで帰ってくるというツアーʕ•ᴥ•ʔ

こんな感じです。

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今思えば、従姉妹Bが断った理由はこの強行軍にあったのかも。

ってーか、どこからこんなパックツアー探してきたんだ?うちの両親連中は?

ま、それが後日の騒動のタネになります。。。

 

出発1週間前に一悶着

で、パックツアーに申し込んだのですが、確かお昼前に成田発の飛行機に乗る為、集合時間が成田8時。

当時は関西に住んでましたので、到底間に合うはずもありません。

で、梅田から東京に行く夜行バスを大学の合宿(写真部の撮影旅行)でも普通に使っていたので、夜行バスを予約して行くことに。

ところが帰ったら、電話口で親がギャーギャーと文句を言ってました。

切った後に話を聞くと、電話の相手は旅行代理店で、「飛行機の出発時刻が変わったので14時集合にしたい」と。

それならば当日に関西からの移動でも間に合いましたので、夜行バスで移動する必要はありません。

ま、突然の時間変更やそれに伴う日程短縮 云々は口実で、そもそもはこのパックツアーに申し込んだのは関西出発の設定があったからだったのに、そちらにならなかったりと言った細々した鬱憤が親にはあり、それが爆発しただけでしたが・・・。( ̄▽ ̄)

私は気にせず、夜行バスで移動して、ふらっと東京でゆったりと朝飯とかも食べてから悠々と成田へ移動し、昼頃に到着。

初めての成田空港内をフラフラと見学し、お昼を食べて14時前に集合場所へ。

 

出発前に一悶着

で、14時に集合場所に着いて添乗員さんが発したひとこと。

「飛行機のトラブルとフライトの組み直しの為、飛行機がそもそもインドから到着していません。その折り返し運航の予定だった私達の出発便も出発が確定していません。申し訳ありませんが、18時に再度お集まりください」

・・・・・・今、なんて?( ゚д゚)

仕方がないのでお茶して本屋とかで時間潰して18時に再集合して言われたのが

「そもそもの搭乗予定の直行便は欠航となりました。代替便を手配中ですので21時に再度お集まりください。その間に夕食を取っていただき、レシートをいただければ全額お支払いします」

・・・迷わず3000円ぐらいのステーキセットとかを頼んだ記憶があります。

で、21時に集合。

「皆さんには23時発のマニラ(フィリピン)行きに乗っていただきます。

一旦トランジット(乗継利用者専用)のホテルにチェックインしていただき、翌朝ニューデリーに向けてクアラルンプール(マレーシア)経由で移動していただきます。」

あれ?今サラッと2回乗り継ぐって言った?( ゚д゚)

(経路はうろ覚えですが、2回乗り継いだのは確かです)

で、22:30に再集合して、ようやく出発。成田空港で12時間以上過ごしました。

で、マニラで言われたひとこと。

「すいません。トランジットのホテルは全員分が取れませんでした。この後、お食事処へと案内し、その後一旦解散とします。この乗継エリア内で過ごしていただいた後、翌朝9時にお集まりください。」

(つまりは、その辺のソファで夜を明かせと。この時点で深夜3〜4時)

さすがにこの事態に今まで黙ってた参加者から文句が出ましたが、それは分別のある文句でした。

おじ様「全員分が取れなくても、数部屋空いているのならお子さん、御老人連れの3組だけでも入れてあげたらどうか? さすがにロビーで夜を明かすのは酷でしょ」

こういう大人になりたい!と思った21歳の春でした。

ツアコン「すいません。不公平が生じてしまいますし、先程空いていた2部屋も取られてしまいました。私も同じ環境ではありますが、ご了承ください」

こういう大人にはなりたくない、と思った21歳の春でした。

 

連れて行かれたのは唯一24時間営業で空いていたフードコートか何かで、社食のように好きなメニューをピックアップして行く形でしたが、深夜の3時ですしねぇ。。。

とはいえ、ツアー会社負担なので、ビールは数本取ってそれを呑んで過ごした記憶があります。

結局、ニューデリーにはそもそもの予定から丸1日遅れて到着。

ま、おかげで、ニューデリーに着く頃にはツアー会社への不満という共通点で参加者同士の結束力が高まり、そこかしこで旅行だけのグループが出来上がっている状態でした。

 

到着後に一悶着

確か17時とかにニューデリーに到着。

結局、初日のホテルには泊まれなかったのですが、そのホテルのロビーで2時間ほど休憩し、予定通り前日には到着していた関西組と合流してから夕食、その足で寝台列車というスケジュールに。

何故、ホテルで2時間だけ休憩?と思ったり、割といいホテルだったので泊まりたかったなーと恨み辛みが出てきたりしましたが。

結局部屋にも入れず仕舞い。

夕食を済ませ、駅に21時頃向かうと。

「すいません。寝台列車が遅れています。到着までバスの中でお待ちください」と言われ、そこから3時間缶詰。

もうお腹いっぱいなぐらいにインドの洗礼を浴びました。。。

日が変わる頃にようやく寝台列車で移動を開始しました。

つまりニューデリーに居たのは5時間のみ、シャワーは寝台列車で夜を明かした後のコルタカのホテルまでお預けでした。

(流石に寝台列車内で着替えた)

 

ここから旅行中は割愛(笑)

この寝台列車から先はホントにいい思い出しかありません。

(思い出美化修正もあると思いますが)

  • 寝台列車から眺めた日の出
  • 車内で飲んだ熱々のチャイの味
  • それらの給仕の人と片言の英語でのコミュニケーション
  • 関西組からの同世代の女性2人組と仲良くなったり
  • その2人組と夜市からホテルまで3輪タクシーでかっ飛ばしてもらったり
  • 関東組の卒業旅行3人組と仲良くなったり
  • その1人からアリババについて熱弁を振るわれたり
  • 添乗員(女)と現地ガイド(インド人、男)がイチャイチャしてたり
  • 雑多な街中、人の熱気
  • 夜市で水道水をエビアンの入れ物に詰めている現場を目撃したり
  • 「サン ハンドレット ルピー」と言って300ルピーのお土産を押し売りされかけたり
  • 象に乗ったり
  • ガンジス川の 汚いのに、なんだか清らかな感じのする雰囲気、日の出
  • カレーとナンの美味しさ
  • ツアー客全員に祝ってもらった21歳の誕生日。(ホントは成田出発日が誕生日でした (//∇//)
  • 途中の工程で合流し、自由時間を共に過ごした叔父と叔父を嬉しそうに眺める祖母
  • 最終日に何故か日本食レストランを設定した(なのに、チャーハンが出てきた)ツアー会社のアホさ加減
  • 奇跡的に直行便に乗れた帰国便。
  • 卒業旅行3人組と隣の席になり、再度アリババの話を聞かされたり
  • 成田到着後、お茶に誘われたけど、もうアリババはいい!と思い、これから関西に戻るのでと無理やり振り切って帰ったり・・・

 

もう途中で踏切が降りてから貨物列車が通過するまで2時間かかっても、「ま、そんなもんか」と思える大らかさが養われ、、、

もともと持ち合わせていた 飄々としたのほほん度合い はこの旅行で拍車がかかったかも知れません。

 

帰国後の一悶着

そんな感じで行ってしまえば楽しく終えたインド旅行。

帰ってきてから2日間、トイレに篭っていました。

ツアー中に体調を壊す人も結構いたのですが、私は帰ってきてからでした。

35℃強のインドから春先まだ寒い3月の日本だったので風邪かな?と思ってたんですが、ようやく体調も戻った4日目の朝に保健所から電話。

「同じツアーに参加した方から赤痢の陽性反応がありましたので、保健所に来てください」

_:(´ཀ`」 ∠):

 

行きましたよ、保健所。

結果は陰性で感染していませんでした。

(帰国後の2日間がそれだったのかな?)

が、このおかげで、研究室の配属発表も行けず、研究室に顔だしたのは当初の初日から遅れること4日。

その後、大学院を含めて3年間いた研究室で卒院までの間ひたすらからかわれました。

「今年はインド行って欠席してるのはいないな?」というのは年度始めの恒例でした。

 

後日談

  • 赤痢騒動のおかげで友人に買ったお土産のインドビールは誰も飲んでくれませんでした。(重かったのに)
  • 赤痢にかかった人からお詫びの電話がありました。 関西組の同世代の女性2人組とは連絡先を交換していたので、そのつながりで連絡をいただいたようです。
  • その人には「かかりたくてかかったわけじゃないんですから」という話をして、電話口でも、あの出発前のドタバタはないよねと盛り上がりました。
  • 文句言ってやると言っていたその人が何か頑張ったのかはわかりませんが、後日ツアー会社から、宿泊出来なかった初日のホテル代という名目で各自5000円だけ返金がありました。(少なすぎる、と親は文句を言ってましたが)
  • それでもその後、実家にいた3年間は度々ダイレクトメールを送ってくる図太い会社でした。
  • 関西組の同世代2人組とはその後ちまちまと連絡とったりしましたが、今では没交渉。バイタリティ溢れる2人でしたから、今でも元気でがんばっていることでしょう。

 

 

行ったのは大学3回生から4回生になる春でした。

部活は写真部でしたが、役職や通常活動は3年冬の学外展示でお役御免です。

インドにいる間もいっぱい写真を撮りましたし、当時はフィルムカメラでしたから、撮って、撮ってと現地の子にせがまれて撮っても見せてあげたり、分けてあげることは出来ません。

せめて、と思い、卒業前4回生だけの最後の展示会「卒展」にインドの写真をA1サイズに引き伸ばして展示しました。

 

「あなたに花を」

あのインドの片隅であった少女が今も幸せであることを祈ります。

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